昭和42年03月27日 夜の御理解
今朝から私、こんなお夢を頂いておったんです。これはある教会の先生です。非常にお話の上手な先生ですが。その方が自動車の運転をして、子供さんを助手席に乗せておられる。奥さんが、後ろの方の客席に乗っておられると言う様な所なんです。それを私が横から見ておるという様な感じてした。ところが子供さんが、何かこう後ろの方に乗りたいとか何とか、何か言いよりなさるから。
そのハンドルを外してしもうてその子供さんを、後ろの席にこうやって移しておられるんです。ところが後ろの方で奥さんが、何とかかんとかこう文句言いよりなさるごたる。それの方へ構いよんなさる訳ですね。ですからその子供さんと奥さんの、いろんな言い分を聞きよんなさいますもんですから、ハンドルを外してしもうておられる。それで私がはぁ危ない危ないと言うておるところで、今朝から目が覚めた。
これはどこどこの先生ということではあるまい。これは銘々が頂かなければならないことであろう。第一私が頂かなければならん事であろう。今朝から秋永先生が、お参りをしてまいりましてから、ちょうど子供の事と奥さんの事についてのお届けがあったんです。実は、今日は私こういう様なお夢頂いたんじゃがと言うて話したら。はぁそれは私のことでしょうち言うてから、秋永先生はそう言うておられました。
けれども是は私としては私の事だとまぁ皆さんとしては、皆さんが頂かなければならん事だという風に頂かなければならんのじゃなかろうかと。親族というのは勿論ハンドルを間違ごうたら、家の中の中心になってお互い信心をさせて頂く人が、まあ言うなら運転手であろう。その例えばここで私が家内やら子供達やらの言い分とか、その事に心配になったりその事に心を乱したりする事は、すでにハンドルを外しておる様なもの。
例え子供がどうであろうが、家内が何と言おうが、そんな事なんか問題じゃない。もう私は神様にそれこそ心を任せての私にならなければ、ここで良いお取次ぎが出来る筈がない。ところがこちらに移らせて頂きましてからです、本当にここに御結界に奉仕をしておる間、御祈念をしておる間はもう椛目とひとつも変わりません。けれどもここ降りますともう毎日毎日、いわゆる参観者なんですね。
ここを見せて頂きたいと言うて、お参りに来るというよりも、むしろ見に来るという信心のない方達が、次から次とある訳なんです。それでやはり私が知らん顔しとく訳にも参りませんから、一遍通り、ご案内をさせて貰う訳なんですけれども。そういうことは別として、とにかく、その人間心を使わなければならない様なことが、一日のうちに沢山あると言うことです。ですから私の周囲の人達だけでもです。
ほんなら皆さん達だけでもです。私にいらん心を使わせんですむような在り方。特に家族の人達家族の者がです。本当に私にいらん心を使わせんですむ。例えば先生が右と言いよりなさるとにさあ左が良いですよと言うたら。こればっかりは言う事をきかんと、もう私の心を乱さなければならんのですよ。はあそうですねと言うて貰えばですね、例えばそう言わなければならん事が、あちらにもこちらにもある訳なんです。
まだ慣れてないですから部屋に。例えて言うならばこの品物はこちらに置いたがようはないかな。いいえそらこっちがよかと言うならもう私の心が乱れる。言わばその為にハンドルを言わば片手に離すかと思うたら、両手まで離さなければならないと言った様な結果になるのです。私がここでハンドルをもし外してしもうたらどう言う事になるだろう。ここに何百という信者さんが、私が運転する車に乗って。
お出でられるようなもんなんですから。そういう意味で私を大事にして頂きたい。いや、私の信心を大事にして頂きたい。いや普通なら頼みません。私がもう少し落ち着いたら頼みません。けれども私の心がです。今何とはなしにそのような一つの分離状態、神様に向こうておるかと思うとです。いわば信心のない皆さんに心を向けなければならん。ためには私が御信者さんに対してから取るような態度やら。
言葉遣いやらでもいけない。言葉遣いひとつの上にでも心掛けなければいけないというような中に、現在私があるのです今朝から私が、頂いておるお夢というのが確かにそうであったであろう。どこどこの先生が運転をしておられる。子供さんが何とか言われる。奥さんに何とか言われるのに、はぁそうかと言うてこちらばかり構いよるもんだから、自分が握っておるハンドルは、外しておられる。
それを私が横から見てはぁ危ない危ないあぶない、と言うておるところであった。これは私自身ことでもあろう。今日秋永先生がそのことを聞かれて、先生それは私のあろうと、こう言われるように、皆さんとしても同じ様な事が言えれるんじゃないだろうか。けれどもこれだけは、皆さんご安心頂きたいと思うんです。そう言う様な私の状態の中にあってもですやはりこちらが神様の方を取り外しとるような事があってもです。
神様の方がぴったり寄り添うておって下さるという体験を、ここ幾日かさせて頂きよります。これは例えば、いろいろ参観に見えておられる方違の時間と言ったような事が、今日もですよ。私、お広前努めさせて貰おうと思いよったら、篠原さん達がご夫婦で、ちょうど見えて、ご主人の方が初めてだからと言うて、奥さんがご案内して歩きよりなさ居ますもん。奥さんの案内じゃいけんけん。
それなら私が案内しましょうと言うて、まぁゆっくりその部屋もこの部屋も見て頂いて、すんでしもうてから。今何時じゃろうかと言われる。もう9時前3分ですよて、篠原さんが言われるんです。もうこういう時にですね。私は神様外しておっても、神様が外させて伴うておって下さっておるなぁという実感があるんですよ。これはいつの場合でも。その点はご安心頂いていいと思うんですけれども。
私の心が何とはなしに、そわそわしておるという事です。これは私の家族の者の全部にも言えることだと思うんです。いやここにお参りされるご信者さんだって、そうであろうとこう思うのです。もう今まで、椛目で御用一つ頂きよったその御用も例えば、お月次祭なんか先日の前の晩なんです。お供え物が全部下がると、をれを全部あのお神酒何か包装してから、しまってしまわれるんですよね。ご信者さん方が。
ところがここではもう昼の内にこちらに来てから修行生の方達がやっとります。ですきん何かこう手持ちぶたさになって、あら今日は何も御用ないですかと言った様な事なんです。ですからこれは私の御用だと。例えば神前控室なら神前控室の小さいあそこだけでも良いじゃないですか。お玄関ならお玄関のお手洗いの前なら前だけでも良いじゃないですか。いいえあそこのお便所ならお便所のとこだけでも良いじゃないですか。
ここだけは私がお参りさせて頂いて、御用させて頂こう。いやこれからこれは廊下だけはというそれだけでも良いんです。もうそれをですね。皆さんが自分で御用の場というものを自分で私は、お探しにならなければいけないと思うのです。そうして行く内にあそこはあの人がおんなさるから。ここにはこの人がおるからというふうに、一つの安定というものが出来てくる、お広前全体に。まぁだ家族の方でもそうです。
どの部屋を誰がどういう風にしてお掃除するということすらが。まあ咋日は愛子が御祈念してしもうてから下がっておりましたら、それこそしみじみ言うんですよ。もう本当にお父さん相すみませんけれど、今日は朝からずっと夕方までお掃除がかかったと。毎日がこうです。ですから私が大体ふうたらぬくいもんですから、一日がかりで掃除せなならんが。だから私の時間いわゆる愛子の時間というものが全然ないのです。
その事を今日ご祈念の時に思わせて頂きよったら、涙が流れて涙が流れて仕方がなかった。本当に勿体ない話なんだけれど。はぁ椛目時代の方が良かったという様な気がした時にです。勿体ない事を思いよる。こんなことじゃ相すまんと思うて、涙が流れたと言うて夕べ私に話すんですよ。なるほどあの人がお掃除にかかるのは、一日恐らくかかるでしょう。ですから皆がそこんところをですね。
協力させてどこもここもと言う訳に参りませんから、只今申しますようにここだけは、あの人がおるから、ここはあの人がこれは私がどうでもおかげ頂きたいと言ったような。その立場とか持ち場において、おかげを蒙っていかなければならない。そこにですねひとつの安定感といものが、お広前全体に預けてくる。私自身がそうなんですもん。全然思いも掛けない人達が思いも掛けない方面からです参観に見える。
そすともう私が、その人達の上に、信心心ではない、人情、人間心を使うていかなければならない。私の心が何とはなしに寂しい。何とはなしにありがたいといものから、随分縁の遠い心。言わば俗人の心と言ったような心に、こっちがなり果ててしまう自分が、非常に寂しい。これはどうも良いお取次ぎが出来んなと思いながらどうも仕方が無い。そこで私の傍に奉仕をする人達だけでもです、私の心をより乱さない様な在り方にならせて頂くということは、私を大事にするということではない。
信心を大事にする事なんだ。合楽自体の信心を大事にする事でもあるんだと言う様にですね。おかげを被って頂きたいとこう思うのです。どうぞ私が今朝お夢に頂きました。私がもしハンドルを外す様な事になったら、椛目いや合楽全体のご信者さんの上に関わる事。私は例えば家内子供の言う事なんかには、全然問題にせんですむだけのです、ゆとりと喜びの中に、私自身がひたっておきたいという風に願うんですけれども。
まだそこんとこに落ち着きを頂いてないという感じなんです。けども私がここに一度ここに奉仕させて貰うとですね。これは大盤石そんな気が致します。御神前に出ればひとつも以前の私と変わりはないのですけれども。そういう言うならば微妙な時にあります。ですからどうぞ皆さんもそこのところの微妙なところ、お互いの心の中にもそれがあるでしょう。お引き寄せを頂いても御用を。
どこをどうしてよいやら分からんと言った様な所も御座いますでしょう。そこんところを私は銘々で工夫なさらなければならないと。どうぞそれこそ合楽全体がです。お広前の中におかげを頂いておるもの、外から参らして頂くもの。その辺にそれこそ水も漏らさんような中というものがです。様な信心がです。どうでも近い将来に出来ることでございましょうけれども。ためにはそこんところの、私は精進というものがお互い必要じゃないかという風に考えるですね。
どうぞ。